大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)414号 判決 1981年4月09日

上告人

那須眞一

右訴訟代理人

雪入益見

門井節夫

被上告人

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人雪入益見、同門井節夫の上告理由について

公共企業体等労働関係法一七条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである(当裁判所昭和四四年(あ)第一五七一号同五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八一二頁)。また、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人が日本国有鉄道法三一条に基づく懲戒処分としてした上告人に対する免職が懲戒権の濫用にあたらないとした原審の判断は正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官団藤重光、同中村治朗の各補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。

判旨は名古屋中郵事件についての大法廷判決を援用するものであるところ、わたくしは本件判旨に関するかぎりまつたく異論はないが、右大法廷判決において反対意見を書いた関係上、ここに若干を補足しておきたいとおもう。

右大法廷判決におけるわたくしの反対意見の主眼は刑事の関係にあつたのであるが、公共企業体等労働関係法(以下、公労法という。)一八条にも言及して、同条による「解雇は、違法行為を理由とする懲戒解雇とは異なり、争議行為の禁止に実効をもたせるための制度とみるのが相当であろう」としたのであつた(刑集三一巻三号二三〇―二三一頁)。この点については、まず、昭和五三年(オ)第八二八号同五六年四月九日当小法廷判決において述べたわたくしの補足意見を参照していただきたい。ただ、右の事件とでは、問題の様相を異にする。右の事件の懲戒処分は戒告であつたのに対して、本件のそれは免職(日本国有鉄道法三一条)である。論旨はとくに触れていないが、わたくしの立場においては、公労法一八条による解雇と懲戒免職との関係が問題とされざるをえないのである。一般的にいつて、公労法一八条による解雇よりも懲戒免職の方が本人にとつて不利益であるというべく、公労法一七条に違反する争議行為について、当該行為をした本人に対する不利益な処分の上限が公労法一八条によつて画されるものとするならば、懲戒処分としての免職はありえないということになるであろう。これは、それじたいとして、重要かつ困難な問題である。しかし、原審の適法に確定した事実によれば、本件における上告人の行為は暴力等を伴うものであつて、公労法一七条にいわゆる「同盟罷業、怠業その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為」の程度を超えるものといわざるをえず、企業秩序維持の見地からとうてい容認されえないものであることが明らかであり、しかも上告人には以前にも処分歴があるというのであるから、被上告人が上告人に対してした本件免職処分を有効とした原審の認定判断は、正当として是認されるのである。

上告理由第一点についての裁判官中村治朗の補足意見は、次のとおりである。

公共企業体等労働関係法一七条一項の規定が憲法二八条に違反するかどうかについての私の見解は、当裁判所昭和五三年(オ)第八二八号同五六年四月九日当小法廷判決において私の補足意見として述べたとおりであるから、これを引用する。

(本山亨 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝)

上告代理人雪入益見、同門井節夫の上告理由

第一点 原判決の憲法解釈の誤り<省略>

第二点 原判決の理由不備、法令解釈・適用の誤り等

原判決には審理不尽、理由不備、法令解釈・適用の誤りがあり、破棄を免れない。

一、原判決は、上告人の「人換作業妨害」の事実、「乗務員強制連行」の事実、「欠務」の事実を認定したうえ、これらの事実は日本国有鉄道法三一条一項一号にいわゆる業務上の規程である国鉄職員の懲戒事由を定めた日本国有鉄道就業規則六六条一七号の「著しく不都合な行ないのあつたとき」に該当し、被上告人の上告人に対する懲戒免職処分は有効であるとした。

しかしながら、原判決の右判断には、審理不尽および理由不備があるばかりか、憲法二八条、労組法七条一項および日本国有鉄道法三一条およびこれによる事業法たる右記就業規則六六条一七号の解釈適用を誤つたものであつて破棄を免れない。

二、日本国有鉄道法(以下日鉄法と略称する)三一条は被上告人総裁が、その職員を懲戒処分しうる場合として、「この法律又は日本国有鉄道の定める業務上の規定に違反した場合(同条第二号)と定め、これによる日本国有鉄道就業規則六六条は(1)より(16)までは具体的な懲戒事由を掲記し、更に(17)として「その他著しく不都合な行ないのあつたとき」と定め、同条は職員に以上の各号に「該当する行為があつた場合は懲戒を行う」としている。そして日鉄法三一条および右就業規則六七条は懲戒の種類として、免職、停職、減給、戒告の四種類を定めている。

ところで、懲戒処分は使用者が職場秩序を維持確保し、企業の円滑な運営を可能ならしめるために被用者に対してなす一種の制裁であるから、懲戒事由に該るかどうか、懲戒事由に該るとしても如何なる懲戒が適当かについても右懲戒権行使の目的に則し、それに必要な範囲にとどめるべきであり、当該行為の動機・経緯・態様などを具体的に検討し、それが事業運営に及ぼす影響等諸般の事情を考慮して決定されなければならない。使用者に懲戒権が存するからといつて、その懲戒権の行使は無制約ではありえないことは明らかである。

本件上告人に対する懲戒処罰規定は、前記のとおり日鉄法三一条および前記就業規則六六条一号であるが、同規則をみれば明らかなように六六条一七号は、同条一号より一六号までの具体的な行為の指摘の後をうけて、「その他著しく不都合な行ないのあつたとき」といわば包括的な事柄を規定しているものであつて、この解釈適用に当つては、前記の如き懲戒権の本質からして厳格になされなければならない。また前記のように日鉄法三一条および右就業規則六七条は懲戒の種類として免職、停職、減給、戒告を定め、これらの懲戒を行なう程度に至らない者は訓告と定める(同条二項)のみであつて、右四種の懲戒処分の選択基準については特に定めていない。しかし右四種の処分が被懲戒者に与える不利益については白ら明らかなようにそれぞれ差異があり、特に免職処分は他の処分と異なり、国鉄職員を企業外に排除し、その後の社会生活にも重大な影響を与えるものであつてその生活の基盤を奪う最も厳しい処分であるから、国鉄職員に懲戒処分に付すべき行為があつた場合においても右免職処分の選択は、被上告人総裁の自由な裁量に委ねられるものではなく、前記の如き諸般の事情を検討したうえ、右の如き内容をもつ懲戒免職処分に付するのが客観的に妥当かつ必要と認められる程のものである場合にのみ懲戒免職処分に付しうると解すべきである。

そして右の懲戒事由の該当性判断および懲戒の種類の選択の際に特に留意されるべきは、労働基本権保障規定との関連である。すなわち憲法二八条で保障する団結権、団交権、争議権のいわゆる労働三権が上告人ら国鉄職員にも保障されていることはいうまでもないことであり、その組合活動は公労法及び労働組合法の適用によつて保護されている。従つて右の懲戒事由および徴戒処分の選択の判断に際しては、当該行為と組合活動性との関連を十分に考え、労働基本権尊重の理念に立つてとりわけ厳格になすことが要請されているといわなければならない。

三、以上のような見地から本件の場合をみると、原判決は、懲戒事由の該当性に関しては、「原告の本件各行為のうち、入換作業妨害は、業務執行中の職制に対する乗務員室に無断乗り込む等しての有形力行使による妨害であり、乗務員強制連行は、逃れようとする組合員に対する暴力を振うまでしての阻止と組合集会への参加の強制であり、その行為の態様からみて、ストライキ参加の欠務とともにいずれも被告主張の『著しく不都合な行ないのあつたとき』という懲戒事由に該当するというべきである」と判示し、懲戒のうち免職処分に付したことについては、「入換作業妨害については、当時原告において機関車に乗り込みハンドルを動かすまでの行動に出ざるを得なかつた必要性、緊急性はなく、職制側において原告ら組合員を挑発する等の状況もなかつた。乗務員連行については、同一組織に所属している組合員に対するストライキ参加の説得活動の過程で発生したものであるが……もともと本件ストライキは組合員各人がそれぞれ参加するかどうかを自主的に判断し決定するといういわゆる自主参加方式により行なわれたものであるから、説得それ自体において通常のストライキの場合に比べておのずから制約があるにもかかわらず、原告は暴力を振うまでして相手方の自由を奪つたものである。したがつて、以上いずれの場合においても、原告の行動は、ストライキの場合における正当な説得活動の範囲を逸脱しており、企業秩序の維持確保の面からみて、とうてい許容されないと評されてもやむを得ないといえる」とし、かつ上告人には本件以前に本件と同一の法条により三回の懲戒処分をうけたことがあることを認定して、懲戒免職をされてもやむをえないものである旨判断している。しかし右の原判決の判断には次の誤りがある。

(一) 原判決の審理不尽、理由不備

(1) 原判決は右のように前段において上告人の行為を「著しく不都合な行ないのあつたとき」という懲戒事由に該当すると判断し、次に後段における判断の中で「原告の行動はストライキの場合における正当な説得活動の範囲を逸脱し」と判断しているが、この相互の関係がどうなるのか明らかでない。つまり原判決の判示によると、原判決は「正当な説得活動の範囲」の行為であつても前記就業規則六六条一七号の「著しく不都合な行ないのあつたとき」に該ると考えているようである。しかし、正当な説得活動の範囲であるのに何故懲戒事由に該るのかその説明は全くなされていない。これは原判決の理由不備といわなければならない。

(2) 原判決は右のように上告人の乗務員連行の件について、本件ストライキが「いわゆる自主参加方式」であることを理由にして「通常のストライキ」の場合よりも説得活動の範囲は「おのずから制約がある」旨判示している。しかしながら、判決のいう「いわゆる自主参加方式」の概念は本件訴訟では第一審における青木証人の証言の中で使われているものであるが、青木証人は「自主参加方式」の内容については原判決の如く述べたものではない。すなわち青木証人は「自主参加方式」について、昭和三八年ころまでは、闘争に参加する組合員に対する当局の処分を免れることを目的に乗務員(組合員)の意思に拘りなく組合がこれを強引に闘争に参加するような形式をとつていたが、それでも処分をうけるのでこれでは意味がないということで、昭和三九年ころから組合員自ら当局側の管理者に私はストライキに参加しますという意思表示をさせて参加をするようにした、これが「自主参加方式」というものであると述べているのである(青木証言三六項)。青木証人のいう「自主参加方式」とは、右のように当該組合員が対当局との関係でストライキに参加することを宣言するかどうかの違い(自主参加方式以前の場合には当該組合員は組合によつて強引に持つていかれたという形式をとり、これにより当該組合員に対する処分を免れようとした)にあるのであつて、組合員が組合の方針であるストライキに参加すべき義務を有することは「自主参加方式」の場合であろうとそれ以前のストライキの場合であろうと同じであつたのである。原判決は右の如き青木証言を誤解して「もともと本件ストライキは組合員各人がそれぞれ参加するかどうかを自主的に判断し決定するといういわゆる自主参加方式をとり」と理解しているのである。

そもそも組合という団結体で一定の方針を決定した場合にはこれを構成する組合員はその組合の方針に従つて行動するのが当然であり、原判決も「通常のストライキ」の場合には、組合の方針に従わないストライキ脱落者に対する説得活動をそれなりの範囲で肯定している。ところが原判決は、前記のように「自主参加方式」の意味・内容をとり違えた結果、本件を「通常のストライキ」とは違つたものであると理解し、脱落組合員に対する説得活動の範囲を狭く解しているのであつて、これは理由不備といわなければならない。原判決が青木証言からその判示するような意味・内容で本件ストライキを「自主参加方式」と理解するのであれば、更に「自主参加方式」の意義についての審理を尽くすべきであつたのに、これをせずに右の如く結論を下したのは審理不尽の違法があるといわなければならない。

(二) 原判決は、上告人のいわゆる「入換作業妨害」の事実および「乗務員強制連行」の事実をもつて「正当な説得活動の範囲を逸脱し」たと判断しているが、これは憲法二八条、労組法七条一項の解釈・適用を誤つたものである。

(1) 上告人の右の行為は、原判決も判示するようにいわゆる機関助士廃止の問題をめぐつて労使間に争いが生じ、五月三〇日のストライキに向けての順法闘争中のできごとであり、しかも「入換作業妨害」の事実は、当局が臨時の入換機関車を運転する場合には、組合と事前協議すべきであるにもかかわらず、これをせずに運転しようとしたことに抗議し、当局職制と交渉中、当局職制がこれを進行させようとした際の瞬時の出来事であり、「乗務員強制連行」の件は、上告人と同じ組合に所属する工藤運転士がストライキに参加しない旨のいわゆる「保護願い」を当局に提出したとの連絡をうけ、同人を共に闘いに立ち上がろうと説得中のものである。「入換作業妨害」の件は、原判決の判示するように、平常時においては当局が臨時の機関車を使つて入換作業をする場合には事前に組合に通知、協議したうえでなすということになつていたが、闘争時においてもこれをすべきかどうかをめぐつて上告人ら組合員と当局職制との間に見解の違いが生じ、これをめぐつて論争中のものであり、上告人が機関車に乗り込んでから下車するまでの時間はわずか「二、三分」であり、入換作業の遅延も二〇分程度にすぎず(この二〇分というのは機関車の外での右の見解の違いをめぐつての論争も含めてのものであり、上告人が機関車に乗り込み、ハンドルに手をかけたことによる作業遅延の時間は右のうち更にわずかである)、その行為の影響もそれ程のものではない。

工藤運転士に対する件についても、同人は前記のように上告人らと同じ動力車労働組合の組合員でありながら、闘争に参加しない旨を表明していたいわゆる脱落者であるから、同人に対する説得活動は使用者あるいは第三者に対する場合よりもより強い範囲で許容されるというべきである。なぜなら、工藤運転士は組合員である以上本件闘争に参加すべき義務を負う者だからである。ところで上告人は闘争拠点である田端機関区の最高責任者である青木の指示のもとに、同人及び他の組合員と共に、工藤運転士に対してストライキに参加しよう、もう一度支部事務所で話し合おうと説得しながら検修詰所前広場まできたのであるが、それまでの間に工藤運転上は上告人ら組合員と支部事務所で話し合うということを納得し、他方右広場では組合員が集会を開いていたことも考えて、工藤の腕を離していたところ、工藤が突如上告人らの隙をみて走り出したので、上告人らが同人を追いかけて捕え、集会に参加させたものである(原判決は工藤に飛びついたのは上告人でなく自分である旨の大熊証言を信用できないと排斥し、その理由として大熊証人が同現場で上告人を見かけなかつたということはおかしいということをあげているが、その場には他の組合員ら多数もいたことであり、しかも瞬間的な出来事であつたのであるから同証人が上告人に気づかなかつたのも何ら不思議ではない。)。上告人らの行為のうち、青木と共に工藤を歩きながら説得していた事実はその態様からして格別責められるべき態様ではないし、最も問題とされるのは逃げ出した工藤に飛びかかり壁に押し倒したという点であろう。しかし、この点についても右記のように工藤運転士は一旦組合事務所で話し合うことを上告人らに約しながらこれをくつがえし、突然走り出したものであつて、この瞬間的な出来事に対して上告人ら組合員が背後から追つて捕えたとしても、これも又いわば突発的な出来事であり、これ自体をそれ程非難されるべきものではない。工藤運転士が配電盤の壁に押しつけられたというのもいわば一つのはずみにすぎない。これらのことをみるとき、右の事実をもつて原判決の如く「逃れようとする組合員に対する暴力を振うまでしての阻止と組合集会への参加の強制」と評価するのは妥当でない。

(2) ところで「正当な組合活動」かどうかの判断は、その行為の経緯、態様、それによる具体的影響、闘争時かどうかなどの時期、闘争全体の目的など諸般の事情を考慮してなされるべきものであることはいうまでもないことである。上告人の右行為は、助士廃止という乗務員を主体とする動労としては組織の存立をかけた闘争時のものであり、しかも行為に至る経緯においても当局との見解の違い(入換作業の件)、脱落組合員の突発的な逃走という事情があり、しかもその行為による具体的影響も重大でないことを考えると、策告人の前記行為はいずれも「正当な組合活動」の範囲というべきものであり、これを「逸脱」しているとの原判決は憲法二八条、労組法七条一項の解釈・適用を誤つたものといわなければならない。

(三) 仮りに上告人の行為の前記の如く「正当な組合活動」と解しえず、この範囲を逸脱したものであるとしても、上告人の本件行為をもつて前記就業規則六六条一七号の「その他著しく不都合な行ないのあつたとき」に該当し、懲戒免職を相当とした原判決には、日鉄法三一条および右就業規則六六条一七号の解釈・適用の誤りがある。

(1) 懲戒権の意義およびその限界ならびに本件の場合の右規定の解釈については前二で述べたところであるが、これを本件に則して上告人の本件行為の懲戒事由該当性および懲戒免職の相当性について検討する。

(2) 上告人の本件行為のうち、原判決のいう「入換作業妨害」の事実および「乗務員強制連行」の事実については前(二)に述べたような経緯・態様のものであり、その具体的影響もそれ程大きいものでないし、「欠務」についても上告人は一組合員として組合の組織決定によりストライキ参加のための欠務であり、これをもつて他の多くの組合員と格別の差異をもつて臨むべきでない。

原判決は右の「欠務」の点に関連して「本件ストライキが公労法一七条で禁止する争議行為に該当することは上来説示してきたところから明らかであり、また国鉄職員の争議行為を禁止した右公労法の規定は憲法二八条に違反するものではない」と判示しいわゆる五・四判決を引用しているが、この判断それ自体の問題点は前第一で述べたところであるが、右のストライキのための欠務をもつて懲戒事由の該当性(および懲戒処分の相当性)を論ずる際に看過ごしてならないのは、本件行為の時期と当時の最高裁判例の状況である。すなわち本件行為のあつた昭和四四年五月三〇日当時、国鉄職員ら官公労働者のストライキに関する最高裁判例としては、四一年一〇月二六日の全逓中郵事件判決、そして四四年四月二日の都教組事件判決であり、周知のようにこれらの判旨は、官公労働者のストライキを全面一律に禁止した公労法一七条、地公法三七条等は憲法二八条に違反する疑いがあるとしたものであり、また右法条違反の者に対しての不利益は最少限にとめられるべきことをも判示している。これらの最高裁判例の影響下にある上告人らが、これらの最高裁判例を一つの妥当な規範と考えこれに従つた行動に出たとしても何ら不思議なことではなく、むしろ当然というべきものである。この最高裁判例がその後変更されたとしても、これをもつて、かつては懲戒事由に該らないとされていた行為が、判例変更後は懲戒事由になるというのでは余りにも妥当性を欠くものといわなければならない。従つて本件の「欠務」をもつて懲戒事由に該当すると解するのは相当でない。また右の理は単に「欠格」だけではなく、「入換作業妨害」の件および「乗務員強制連行」の件についても同様に考えられるべきである。なぜならこれらはいずれも五・三〇闘争にむけての順法闘争中の出来事であり、その法的評価もおのずと全体の闘争の法的評価と連関するからである。

そして上告人の本件行為はいずれも単なる個人的な行為ではなく、組合活動であり、しかも本件闘争は本部および地方本部の役員の指令・指示による行動である。単なる支部書記長としての上告人はかかる上部機関の指令・指示のもとに行動したものに過ぎないのである。入換作業に関する件で上告人が機関車に飛び乗つてハンドルに手をかけたこと、工藤運転士に飛びついてこれを捕えたこと(この事実認定には前記の如く承服しえないものを含んでいるが)までが、上部機関から具体的に指示されていたと主張するものではないが、入換作業について当局が組合に事前の協議をすることなく、臨時の機関車を出すことについて当局と交渉すること、闘争に参加しない組合員に対して参加を説得することが上部機関の指令・指示の範囲であることは確かであり、上告人はこれに基き行動中、いずれも突発的な事情が発生して、上告人が右行為に出たものであることを考えると、これに対して厳しい非難を向けることは相当でない。

更に原判決は、上告人が本件処分以前に本件と同一の法条によつて三回の懲戒処分をうけたことをあげて、懲戒免責もやむなしの理由としているが、これらの懲戒処分もいずれも個人的な非違行為でなく、ストライキ参加を理由とするものであるから、右と同じ理由からこれを重視することは労働基本権尊重の理念に背馳し相当でない。

(3) 以上の如き諸事情をみるとき、上告人の本件行為をもつて前記「著しく不都合な行ないのあつたとき」に該るというべきではないし、とりわけ、仮りにこれにあたるとして何らかの懲戒処分を付するのが相当であるとしても、前記の如き具体的内容をもつ最も厳しい免職処分に付することの誤りは明白といわなければならない。<以下、省略>

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